第220回研究発表会(2004年12月18日 於:國學院大學)
心学資料における順接条件表現
発表者/金 権 烈 氏(國學院大學大学院)
天保期の心学資料「鳩翁道話」「続鳩翁道話」「続々鳩翁道話」を資料として、順接条件表現を丹念に調べた発表であった。前田直子氏による先行研究をふまえ、資料に見られる「バ」「タラ」「タラバ」「ナラ」「ナラバ」「ト」という形式を、「仮定的用法」「恒常的用法」「確定的用法」「周辺的用法」に分類する。それをさらに前田氏の研究により細分化し、十六分類としている。 調査結果によると、「バ」三五七例、「ト」二一二例、「タラ」七六例、「ナラ」一六例、「タラバ」一三例、「ナラバ」八例、合計六八二例が使われている。このうち「バ」の用例数は多い順に、確定的用法・恒常的用法・仮定的用法・周辺的用法となっている。同様に「タラ」は仮定的用法・確定的用法・周辺的用法・恒常的用法、「タラバ」は仮定的用法・恒常的用法・確定的用法、「ナラ」は仮定的用法のみ、「ナラバ」は仮定的用法・周辺的用法、「ト」は恒常的用法・確定的用法・仮定的用法・周辺的用法の順となっている。 質疑応答では、話し言葉的とされている「鳩翁道話」の中にも古典語的なものが混入すること、濁点の問題など個々の語に関するものがあった。また、前田氏の研究をふまえた分類であったが、前田氏の分類で順接条件表現のすべてを網羅しているのか、あるいはすべての表現を一対一対応で分類しきれるのかという根本的な疑問が投げかけられた。前田氏の分類は現代日本語を対象としたものであるが、「鳩翁道話」の順接条件表現、あるいは江戸語における順接条件表現をどのように分類するかというのは、江戸語研究者には非常に興味のあるところであろう。 (上野)
第219回研究発表会(2004年11月12日 於:熊本市国際交流会館)
訳語「写真機」の成立
発表者/鄭 英淑氏(国際基督教大学非常勤講師)
発表者は明治時代の訳語の成立に寄与した津田真道を中心に研究してきた中で、その一例として「写真機」を取り挙げた。発表ではまず「写真機」そのものの歴史を辿り、西洋で一八三九年に発明された「daguerreotype」を薩摩藩が一八四八年に輸入し、翌年には「印影鏡」と訳されていることが書簡によって確認できるという。また川本幸民の『遠西奇器述』(一八五四〜五九)の「写真器」を経て、津田真道が『日本紀行』(一八六一〜六三)にはじめてダグレオチペトステルというオランダ語のルビに「写真機」の表記で対訳していたことが判明した。
そこで、発表者は他の文献との照合作業に入り、「写真」という語は漢籍に早くから用例が見えるが、絵描きによる生き生きとした肖像画をさすことがほとんどであり、いわゆる近代的な意味は含まれていないと指摘する。また一八六三年までの対訳辞書や個人の著書などには「冥箱、照物箱、撮影箱、写真鏡」などが使用されているものの、「写真機」は載っていない。ようやく一八九七年の尾崎紅葉『金色夜叉』に「写真機」が用いられ、カタカナ表記の「カメラ」も同じ文章に登場するようになる。一方、新聞などではやや早く一八九〇年以降からよく見かけるようになり、第四期(一九三三〜四〇)の『国定教科書』にも用いられ、定着したと考えられる。そうした検証過程を通して、発表者は「写真機」という語が津田真道によって創られて以来、今日に至っているという結論を下したのである。 質疑応答では、機械そのものの歴史や物の外形の変化を考慮しながら呼び名の推移を捉えるべきという意見が出され、それぞれの単語は物の文化誌を反映しているから、物とネーミングとの消長を跡付ける必要が指摘された。それが文献的な用例として確認できないことの意義が問われた。さらに接尾辞「〜機」の発達と結びつけて捉えた方が近代語彙研究全般における意義を高めることになるのではないかという提案があった。 (陳)
『(石見)方言茶話』と『肥後方言茶談』をめぐって ―近世の肥後語文献について続貂―
発表者/米谷 隆史氏(熊本県立大学)
米谷氏の発表は、近世の石見・肥後の方言資料として利用できると考えられる『(石見)方言茶話』『肥後方言茶談』について紹介し検討を加えたものである。同資料は、現在、ノートルダム清心女子大学佐藤茂文庫蔵本と金蔵寺蔵本との二点が知られる。佐藤茂文庫本は外題に『石見方言茶話』とあり、「方言茶話」(一丁オ〜一八丁ウ)「肥後方言茶談」(一九丁オ〜二七丁ウ)「御坊窮賦」(二八丁オ〜二九丁ウ)から成り、安永四年の成立、安永九年の写本である。「(石見)方言茶話」は、基本的に、浄土真宗の法話のスタイルをとっている。「肥後方言茶談」は、ある夜、近所の医者が石州の僧が書いた法話「石州方言茶話」を読みあげて、信心を説いたもので、「婆 ゼンジヨウヅル可笑(ヲカシカ)言葉バイ」のごとく肥後の方言で書いてある。「方言茶話」の作者仰誓(享保六年〜寛政六年)は京都に生まれ、明和元年に本山の命で石見国浄泉寺に入寺した浄土真宗の僧侶である。「肥後方言茶談」の作者は本文末に「肥後隈本医村井椿樹 火谷山人」とあり、「椿寿」と通称した医師村井琴山(享保一八年〜文化一二年)と推測される。仰誓と村井椿樹との関係は未詳である。
その資料性については、ロドリゲス『日本大文典』、『菊池俗言考』等と対照させると、「ゴザリマスマイ(ア)」(石見)、「酸カノ辛カノ」(肥後)、「婆々(バブウ)」などが見られ、安永期の石見・肥後両地域の方言を使用して作成した法話であると認められる、等の指摘がなされた。 質疑応答は、資料に見られる石見と肥後の方言の相違、開合の例、用例の表記、作者名の「椿寿」、写本等についてなされた。 (諸星)
「具体の話」と「具体的な話」
発表者/荒尾 禎秀氏(東京学芸大学)
漢語「具体」は、現代は「具体案」「具体策」のように用い、「具体の話」のような直接助詞・助動詞を付ける用法(以下「具体」とする)は発表者の内省では、ない。しかしそのような使い方をする人が周囲にかなりいることに発表者は気づき、「具体」の特徴や「具体的」との関わりを調査した。 まず発表者自身が勤務先や学外で採集した「具体」の実例は主に文部(科学)省の現役やOBに見られ、ある種の〈官庁用語〉ではないかと推測される。
そこでネットの「国会会議録検索システム」で昭和二二年から平成一六年までの議事録を検索した。その結果、「具体」の用例は相当数に上り、形容動詞的用法では「具体に」「具体な」、それ以外では「具体の」が特に多い。「具体に」は「具体的に」、「具体な」「具体の」は「具体的な」とするのが現代は一般的であろう。また同様に「具体的な」に相当する「具体的の」の実例も相当数見られる。「具体の」「具体な」「具体的の」「具体的な」の間には下接語では明確な差異は見られないが、通時的に見ると「具体の」は増加傾向、「具体的の」「具体的な」は減少傾向にある。
国会での「具体」「具体的」の多用はこれらそのものが実は具体的内容を持たない「便利なことば」であること、そして「具体」の多用は「具体的」よりも簡略になることが、関係しているかもしれない、というのがまとめである。 質疑では、表の数値の確認や、「具体性」「具体化」も考察に入れるべきでは、といった意見があった。今回は国会のほかに東京都議会議事録の検索結果も示され、調査結果の報告という性格が強かった。今後の分析の進展が期待される。 (新野)
近世人の古語受容
講演者/佐田 智明氏
古典語にせよ、外国語にせよ、自分の母語以外の言語と対する時は、母語の言語感覚がどうしても忍び込んでくる。佐田先生の講演は近世の国学者たちの言説を取り上げながら、彼らの古語理解に当時の言語状況がどのような影響を与えているかを考えるものであった。
先生は、まず宣長の『詞の玉緒』における「今の世の俗語のてにをはとても、こその結びばかりは、皆おのづから雅語の格と異なることなし」という発言を取り上げ、この発言がどのようなことを意味するのかを考える。具体的には『古今集遠鏡』の口語訳における「こそ」の用法を整理し、@「こそ」が対比的な意味を持つ時には口語訳にも「こそ〜已然形」を用い、A「こそ」が受ける事象が強調の場面にある時は「〜がサ〜ワイ」など古代の結びを踏襲しない訳となる点を指摘された。なお秋成『雨月物語』では、「こそ」は上記・の文脈でもっぱら用いられ、その際係り結びはほとんど守られていない。宣長の言う「異なることなし」は、当時の言語状況を反映した、@のような用法を念頭に置いたものであるとされた。
また紙面の関係で詳述できないが、助動詞「らしき・まじき」が口語の干渉を受け、「文語らし=口語らしい」と認識され、「き」がそこに添加した過去の助動詞として異分析される例にも言及された。蕪村の「負まじき角力を寝物語かな」が「負けるはずじゃなかった(まじ+き)」と理解されるのもこの例である。なお佐田先生のご研究は、近々『国語意識史の研究』(おうふう)として出版されると聞く。さらに詳しい議論に触れられることを喜びとしたい。 (服部)
第218回研究発表会(2004年10月23日 於:目白大学)
『言海』の語釈についての一考察
発表者/宮島 聡子氏(清泉女子大学大学院)
宮嶋氏の発表は、『言海』の語釈に関する修士論文の概要を述べ、さらに現在調査中の事柄について説明するというかたちで行なわれた。
修士論文においては、近代国語辞書としての『言海』の特徴を、他の辞書等とも比較しながら浮き彫りにしようとした。
まず、『言海』の編纂大意に、「此書ハ普通語ノ辞書ナリ」とあることを手がかりに、「普通語」とは何かということを、『哲学字彙』初版(明治一四年)、『普通術語字彙』(明治三八年)における収載語彙との重なり具合を見つつ解明を試みた。次に、語釈が難しいと思われる副詞項目および日常語(「ほろほろと」「よろよろ」、「みぎ」「ひだり」等)の語釈を検討し、長い語釈のあるもの、短い語釈で済ませているものの対比を行なった。また「みぎ」「ひだり」のような基本語について、後続の辞書の語釈とも対比したところ、方角を利用した語釈が共通することがわかった。
以上をふまえ、現在行なっていることは、『言海』で特徴的と見られた「みぎ」「ひだり」や「日蝕」のような語について、現代辞書ならびに『言海』の先行辞書における記述の整理である。その結果、「みぎ」「ひだり」は、『和訓栞』と『和英語林集成』の両者を混在させ、「日蝕」については、『和訓栞』『和英語林集成』『本草綱目啓蒙』のいずれとも関わらず、独自の語釈を行なっているという語ごとの個性が確認できた。
質疑では、大槻の考えた「普通語」の概念、対比する資料の選定を再考することなどが話題となった。 (小野)
第217回研究発表会(2004年9月25日 於:学習院大学)
井上哲次郎の自筆ノートについての報告
発表者/真田 治子氏(都留文科大学非常勤講師)
発表者は二年前に公表された著書『近代日本語における学術用語の成立と定着』(絢文社)に続き、昨年も「『哲学字彙』改版にあたっての訳語の変動」(『国文学論考』37)を発表し、近代学術用語の成立を当時の知識人の著書や自筆資料を使って跡付け、構築しようとしている。今回は『哲学字彙』の中心的執筆者である井上哲次郎(一八五六〜一九四四)の日記及びそれに類する自筆資料のうち、東京大学史史料室所蔵の井上留学時代(一八八四年二月〜一八九〇年十月)の自筆ノートについて調査し、訳語の変動(改定)にあたり、手掛かりときっかけになるものを追跡した。
調査対象となるノート二冊はサイズや内容も別々で、一冊目の表紙にはParis,15 Avril, 1887と記されたところからその前後のものと見られ、「講義筆記、原文抜書、文献目録、用語研究など」ほとんどすべて欧文筆記体で書かれた内容である。二冊目はほとんど独文でカント哲学に関する「講義録の写しと推定」される。発表は一冊目を中心に行い、ノートに仏英対照のメモやギリシャ語やサンスクリットとの対照表のほか、最後の箇所に中国語のメモも集中していることから、ベルリン東洋語学校講師を勤めたころ書かれた可能性が考えられる。しかも一八八七年六月の日記にすでに「哲学字彙再版三版増訂スルコト」とあるので、それらの語学経験は第三版の『英独仏和哲学字彙』(一九一二年)に生かされているのは間違いない。
質疑応答ではこのノートと「懐中雑記」という留学中の日記との関係や、資料から浮かび上がった井上の人物像などについて話し合われた。発表者の更なる資料解読が期待される。 (陳)
第216回研究発表会(2004年7月24日 於:明治大学)
欧文直訳体の諸相 ―現代語の雑誌記事・小説を中心に―
発表者/八木下 孝雄氏(明治大学大学院)
発表者は、非翻訳の日本語文(対応する原文があるわけではない日本語文)の中にも、翻訳文体(翻訳文に見られる定型表現。one
of the most 〜=最も〜な一つ、等)が見られるという現状に着目し、「どのように日本語の中に翻訳の文体が受け入れられ、広がっているのか探る」という課題をたてられた。今回はそうした課題のもと、英語を原語とする翻訳文について、どのような翻訳文体がどの程度使用されているのかを調査された。
調査資料は以下のとおりである。 〈雑誌記事〉@『ニューズウィーク日本版』(二〇〇三年三月二六日、TBSブリタニカ)。A『ニューズウィーク日本版』(二〇〇四年一月二八日、同)。
〈小説〉アガサ・クリスティー『スタイルズ荘の怪事件』(真野明裕訳、一九九六年、新潮文庫)。
発表では、用例を(1)単語の直訳、(2)句(二語以上の単語の連なり)の直訳、(3)構文の直訳(主述を含む構造)、「その他」に分類してみると、雑誌、小説とも、(2)、(1)、(3)の順で使用されている(その順で使用量が多い)ということが報告された。その後、実例によって分析の観点等も説明された。
質疑応答では、(a)翻訳文体を見るのか翻訳手法を見るのかといった目的が曖昧、(b)先行研究についての情報提供、(c)「その他」が多い今回の結果と分類基準については再考が必要、・ルビについてはどの段階でつけられているのかといった実務的問題についての考慮も必要、等をはじめとする発言があった。そして、こうした意見をふまえて、探究方法等についての意見交換がなされた。 (梅林)
第215回研究発表会(2004年6月26日 於:国立国語研究所)
固有名詞の言語学的再評価 ―社会言語学の観点から―
発表者/エツコ・オバタ・ライマン氏(アリゾナ州立大学)
本発表は、日本語の固有名詞表記における文字種選択の問題をインターネット上から収集した会社名・商品名を材料に分析したものである。固有名詞は、言語研究の中でこれまで必ずしも中心的課題となってこなかったが、日本語のような複数の文字種を切り替えて使用する言語においては、与える影響も大きいのではないかというのが、ライマン氏の問題意識である。
具体的には、朝日新聞・日本経済新聞系列のIT関連記事と、比較対象の朝日新聞ニュース記事一覧を資料とし、固有名詞および固有名詞を含む記事の両者について、文字種(漢字・片仮名・平仮名・アルファベット・数字)の比率を求めた。その結果、(1)固有名詞においては、会社名で片仮名、製品名でアルファベットの使用比率が最も大きい、(2)IT関連記事における片仮名・アルファベットの合計使用比率は、朝日新聞ニュース記事一覧に比べ、固有名詞で七七%、記事全体でも五四%と高率を示す、という点が確認された。
質疑応答は、ネット上にあふれる片仮名・アルファベット表記の会社名・商品名が、ただちに日本語の表記全体に影響を与えるものかという点をめぐって行われた。会社名や商品名における片仮名・アルファベットの使用は、インターネットの発達以前からすでに見られることである。それが固有名詞の範囲に留まらず、一般語彙の表記にまで影響を与えるかについては、インターネットや携帯電話などの新しい媒体の上で、今後どのような質のコミュニケーションが行われていくかを慎重に考察する必要があろう。 (服部)
第214回研究発表会(2004年5月21日 於:実践女子大学)
近代の女性の書簡文の研究 ―明治中期を対象に―
発表者/茗荷 円氏(聖心女子大学大学院)
本発表は、明治期女性書簡文における結語の実態について、A=女性用書簡文例集、B=女性著名人の書簡文、C=一般女性の書簡文といった調査対象の違いと、明治中期(二十年前半〜三十年前半)・後期(三十年後半〜四十五年)の時代的変遷という二つのファクターに注目し、その全体像を明らかにしようとするものであった。
全体的に見ると、結語のある書簡文の割合は、八十六・七%で、個人的な差があるものの、結語は略すべきでないという規範が守られていた。しかし、中期から後期にかけては、特にCにおいて減少の傾向が見られ、全体的にも微量ではあるが減少の傾向にあり、一般の若い女性を中心にその意識が薄れつつあったといえる。 結語の種類は、中期において「かしこ」の割合が最も高いが、B・Cでは「かしこ」だけでなく「あらあらかしこ」などの「かしこグループ」が主流であった。後期は、A・Bでは結語が書かれていることが多く、「かしこグループ」が主流であったが、Cでは比較的省略される傾向にあり、また「かしこグループ」の他に、若い女性間では「さよなら」など「さよならグループ」が徐々に広がりを見せつつある。
また、書簡の内容や文体によっても、結語の有無や種類に差が見られる。すなわち、私的な内容には口語体が多く「さよならグループ」の割合が高く、厳粛な内容には候文体が多く「かしこグループ」の割合が高くなっている。
質疑応答では、文語体と口語体に分けて分析をすべきであるという指摘や、結語減少の背景には、結語に替わる何かが生じたのではないかという意見などがあった。 (鶴橋)
江戸語・明治初期東京語における情意的逆接表現
―接続助詞ニ・ノニ・モノヲの消長―
発表者/宮内 佐夜香氏(東京都立大学大学院)
宮内氏の発表は、情意的な《意外・不満・非難》の意味が含まれる逆接確定条件を示す、ニ・ノニ・モノヲについて、江戸語から東京語へと移り変わってゆく時期において、それらの形式がいかなる変遷をたどるのかを調査・考察したものであった。
資料としては、江戸末期の滑稽本・人情本および明治初期の『安愚楽鍋』、サトウの『会話篇』、円朝の『怪談牡丹灯籠』、逍遙の『当世書生気質』、四迷の『浮雲』を使用し、前記のニ・ノニ・モノヲの使用数を調査してみると、江戸末期から明治初期にかけて、ニからノニへの交替が行なわれ、ノニが情意的逆説確定表現の専用形式として定着したことがわかった。
また、ニ↓ノニの交替期にあって、出現比率は若干低めであるものの安定した現れ方をするモノヲに着目し、それぞれの表現特性について分析をした。その際、表現的構造として、前件からの予測に反した事態のみが表現されるか、事態と評価が表現されるか、評価のみが表現されるかというように分類を試みると、ニ・ノニが右の三分類に関しては偏りなく出現するのに対して、モノヲが事態と評価の両方を表現する文構造に三分の二強の例が集まることが分かった。さらに、最終的にノニが情意的逆説表現の専用形式となるのは、ニが接続助詞として曖昧性を持ち、モノヲが情意的表現において複数の用法を持つのに対して、ノニが明確な接続助詞としての性格を持ちながら情意性も兼ね備えていたという点に求められる。
質疑では、変化における「分析的傾向」の内実および情意と論理の関係が話題となった。 (小野)
【返り討ち】の意味変化について ―《気づかない意味変化》の一例として―
発表者/新野 直哉氏(国立国語研究所)
本発表は、発表者が継続的に取り組む《気づかない意味変化》を生じた語句に関する考察である。発表の要旨は以下の通り。
近年、【返り討ち】ということばは、本来の〈敵討ちや一般的な仕返しにおいて〉という制約がなくなり、〈相手をやっつけようと自分から向かっていって、かえってやられる〉意味(新義1)に用いられることが多い。また少数ながら、〈敵討ち、しかえし〉の意味(新義2)に用いられることもある。このうち新義1は、本来存在した場面・状況の制約がなくなって生じた「特殊↓一般」タイプの意味変化ではないかと考えられ、新義2は「対義的方向への意味変化」であり、【かたきうち】と【かえりうち】の音の近似、さらにこの二語が常に同じ場面で密接に関連して用いられることによって生じた意味変化と考えられる。今後の見通しとして、新義1は違和感を抱きにくいため勢いを増し、何れは《気づかれる》ようになる一方、新義2は【かたき討ち】との衝突もあって、あまり勢力拡大しないのではないかと考えられる。なお今後の課題としては、中高年層の実態把握、及び新義の発生時期の解明が残されている。
質疑では、「あんなやつは返り討ちにしてやる」というアンケートの質問法に対する疑義、「敵討ち」本来の意味が理解されにくい現在の時代状況を配慮する必要性、また近世文献に僅かに認められる新義1に近い例の扱いについて、藩法などでの用法を調査して再検討の要があることなどが指摘された。 (橋本)
近代語資料としての台湾総督府編纂『台湾教科用書国民読本』
発表者/中田 敏夫氏(愛知教育大学)
日本による統治期の台湾における言語教育は現在、教育史のいずれの領域においても「国語教育」に位置付けられておらず、また、植民地教育の実践の場で用いられた種々の言語資料もこれまで日本語資料として全く位置付けられてこなかったところから、台湾統治初期資料の一つである台湾総督府編纂『台湾教科用書国民読本』(全十二巻)を取り上げてその近代語資料としての価値を指摘したのが中田氏の発表である。
本書の内容は、具体的には、例えば第一課から単語ではなくて「オトコノコガ、オキマシタ」、応用で「オンナノコガ、ジオカキマシタ」と表音式表記の文を掲げ、さらに台湾語をカタカナ表記して四声を付してある。このような教科書が編纂された経緯について、・台湾統治初期の教育制度、および、・教科書言語(教科書で用いる言語要素)構築の流れについて、『台湾公学校国語教授要旨』、台湾国語教授研究会の活動、台湾国語教授研究会決議録、公学校用図書審査規定の制定、図書編纂者の召喚などに言及した。その上で、本書における用語・用字採択の事例として用語から「いる・ている」、用字から歴史的仮名遣いの表記法の事例について分析を加えた。
質疑応答では、資料論の必要性、日本語教育史における資料の扱い、近代語資料としての研究の見通しなどが話題となった。 (諸星)
漢語辞書の出版から見た明治
講演者/土屋 信一氏(共立女子大学非常勤講師)
土屋氏による講演は、本人の弁そのままに「古本談義」といった趣のあるもので、文献に基づいた研究を志すものにとっては大変に興味深く、また意義深いものであった。講演の間、辞書類の回覧がなされたのだが、興味深い資料だけに、時間内に聞き手の間を回りきらず、講演終了後に会場の机の上に広げて希望者が閲覧するという形になった。
氏が『明治期漢語辞書大系』(大空社)編集に参加したきっかけは、元々は江戸語東京語の資料探しとして古本探しをしていたところからだ、とのことである。古本でも例えば「洒落本」「国語読本字引」などでは、コレクターとも呼ぶべき存在がいて、なかなか競争も激しいこともあり、「漢語辞書」の収集の方に向かった、ということであった。「漢語辞書」というものは、一般に高級なものではなく、それだからこそかなり多くの部数が売れていたのだということである。なかには欄外に漢語辞書を添えた節用集・往来物類などといったものもあるが、それらを含めて辞書としてはかなり内容・質に問題のあるものも多く含まれているとのことで、そういったこともまた、資料としては面白いもののように感じられた。
講演の内容として、特に興味深かったのは、「異版の存在」についてであった。奥付が同じ刊年になっているからといって、同じ版とは限らず、実際には「凡例の有無」や「欠画の有無」が違う異版がかなり存在するという。奥付はそのままに後年増し刷りする、ということがけっこうあったらしく、実際にはどれくらいの部数が刷られたのかわからないものも多いようである。 (増井)
第213回研究発表会(2004年4月24日 於:國學院大學)
明治期東京語の命令表現の諸相
発表者/陳 慧玲氏(明治大学大学院)
陳氏の発表は、明治期の東京語における命令表現について、・それにはどのような種類のものがあって、・それらが明治期にどのような変遷を遂げて現代にいたっているのかについての見通しを述べる、というものであった。
まず、明治三年から四五年にいたる三五篇の資料を選び、そこから、狭義の命令表現を抽出すると、四六三六例を数えるが、そこに現れる二〇〇ほどの命令表現形式を、話し手の位相および聞き手との関係に着目して分類していくと、三二の類型に集約でき、その中には、階層に偏りのないものと、偏りの観察されるものがあることが見てとれる。
次に、階層に偏りのないものを具体的に見てみると、「お〜なさい」「〜なさい」「〜て」「〜てください」「尊敬語+てください」「お〜ください」のような、現代日本語の命令表現としても普通に用いられる形式が含まれていることが分かった。 さらに、全ての階層で用いられているわけではない形式のうち、現代日本語の命令表現と関わりのあるようなものを見てみると、「〜てくれ」「動詞命令形」「〜てちょうだい」「〜ておくれ」「いらっしゃい」「〜ていらっしゃい」のようなものを挙げることができるが、これらは、話し手が男性・女性のいずれかに偏るのみであり、明治後期に衰退したとみられる命令形式が、さらに局限された階層でのみ用いられるものであったことを考慮すると、より共通性の高い形式であると言える。
質疑では、「命令表現」の定義、個別例の吟味などについて、議論が交わされた。 (小野)
第212回研究発表会(2004年2月28日 於:目白大学)
近代における女性語の諸相
発表者/鶴橋 俊宏氏(静岡県立大学)
鶴橋氏の発表は、近世から近代における女性語の文末表現である「テヨダワことば」の成立と普及に関して、これまで考察の対象とされていない資料、また、言及されていない事実に関しての発表であった。
まず、近世の資料を見ると、松亭金水の人情本『花筐』『花筐拾遺湊の月』に見られる例は、音調が確認できないことから直接「テヨダワことば」につながるとは断言できないが、花柳界に身を置く女性の会話に終助詞「わ」の使用が多く見られる。また、朧月亭有人の『春色恋廼染分解』でも、芸者の言葉の中に「わ」の使用が多い。
近代小説では、巌谷小波の『五月鯉』と坪内逍遥の『妹と背かゞみ』が挙げられ、芸者の妹の会話の中に使われ、さらに官員の娘の会話の中にも見られることが示され、使用者に身分の差が見られることが示された。さらに三宅花圃の『藪の鶯』では、男爵令嬢や女学生の会話の中に「テヨダワことば」が見られることが指摘され、低層階級から始まったとされる言葉が上層階級にまで普及していることが指摘された。
大正期に『女学世界』の投稿欄において、全国の誌友が「テヨダワことば」で語り合うコミュニティーが形成されたことは既に指摘されていることであるが、発表者は、明治後半に出版された投稿雑誌『女子文壇』に早くも「テヨダワ」ことばが多く見られ、明治後半において既に「テヨダワことば」が全国の女子学生の間で広く用いられていたことを述べた。
質疑では、武家の女性のことばの中には「テヨダワことば」の前身にあたるものが見られるのかどうか、場面によっての使用状況はどうなのかなど、多くの質問・意見が出された。 (平林)
第211回研究発表会(2004年1月24日 於:実践女子大学)
現代日本語の指示詞「コ・ソ・ア」について
―指示用法における意味・機能及び選択要因を中心にして―
発表者/金 原鎰氏(明治大学大学院)
本発表は、現代日本語における指示詞コ・ソ・アについて、認知主体の知覚的視点・概念的視点に着目しながら、実例を近現代の小説とネイティブチェックを経た作例に求め、その意味・機能と使用条件を考察したものである。
具体的には、現場・観念指示のコ・ソ・アに対する指示形式を、話し手の視点と知識(観念指示の場合)の参照の有無により、それ無しの「自立型」とそれのある「依存型」とに分け、さらに「依存型」を聞き手の視点・知識の捉え方によって、その視点・知識を同一化・一体化する「融合型」とそれを積極的に参照する「対立型」に下位区分し、それぞれの用法を考察した。
その結果、紙幅の関係で個別の考察は省略するが、現場・観念指示の「自立・融合・対立」型におけるコ・ソ・アの基本的な意味素性として、適用される順に、第一層で「聞き手視点の参照があるか」、第二層で「話し手に近いか(第一層がNoの場合)」「聞き手の視点を積極的に参照するか(第一層がYesの場合)」を抽出した。なお、第三層では、「話し手に遠いか(話し手に近いかがNo)」「言語伝達の関与者―話し手と聞き手―に近いか(聞き手の視点を積極的に参照するかがYes)」という二つの素性のうち、後者がNoの場合は、現場指示でア系が出るのに対し概念指示ではソ系が出るなどの指摘があった。ただし、この種の違いがあるとはいえ、全体としては、現場指示と観念指示をほぼ共通の枠組みで説明することが可能とのことである。
質疑応答では、指示語基コ・ソ・アの派生語をすべて同一に扱うべきかという点や、実例の収集法・解釈などについて質問がなされた。意味素性の記述がさらに整備されることが期待される。 (服部)