第188回研究発表会(2001年10月19日 於:福井大学)要旨
総合雑誌『太陽』における外国地名片仮名表記 −文体との関わりに注目して−
発表者/深澤 愛氏(大阪大学大学院)
この発表は、明治二十八年から昭和三年にかけて刊行された総合雑誌『太陽』を資料として、近代における片仮名表記の用法を文体との関わりから考察しようとしたものである。
まず、各年第三了における漢字平仮名交じりで書かれた記事(散文)から、漢字表記と片仮名表記の両方が見られる外国地名を採集し、漢字表記、ルピ付き漢字表記、片仮名表記の三つに分類した。そのなかから、使用額度で上位十五位までのものをとりあげ、文語体、口語体のどちらに片仮名表記が多く見られるのかを調査した。さらに上位十位までのものを対象として、漢字表記、ルビ付き漢字表記、片仮名表記それぞれを含む記事の数の年代的な変化を調査した。なお、調査の対象を使用頼度の高い外国地名に絞ったのは、知名度の砥い外国地名は片仮名表記され、知名度の高いものは漢字表記されるという先行研究での指摘をふまえ、ひとまず『太陽』で使用度数の高いものを知名度の高いものとして、調査・考察を進めようとしたためである。
右の調査の結果、(1)文語体よりも口語体において片仮名表記が多く用いられること、(2)口語体の記事のみとなる一九二三年以降、漢字表記を含む記事ょりも片仮名表記を含む記事のほうが多くなっており、使用頻度の高い外国地名の片仮名表記と口語体との間に強い関連性が認められることを明らかにした。また、口語体に片仮名表記が多く用いられる理由として、口語体が演
説速記に用いられ、語形を明示するために外国地名を片仮名表記するなど、もともと片仮名表記を受け入れやすい素地があったためではないかと述ペた。
質疑では、文体の分類法、漢字表記にユレが見られるのかなど、さまざまな意見・質問が出された。 (小椋)
森鴎外の漢詩における漢字漢語の用法
発表者/何 欣泰氏(岡山大学大学院)
森鴎外の漢詩の研究では、今まで平仄に注目する研究は多くなかった。そこで発表者は、平仄に注目して考察を行った。
発表者は、まず「平仄」について説明し、『北遊日乗』(一八八二)の明治十五年二月十三日条の「鴻台の下に来ぬるころほひ 空曇りて雨ふらんとす いとつれづれ(注:踊り字)なるまゝに舊友の事おもひ出づ」とした漢詩が平仄を守っていることを述べた。そして、この詩の一句めの、”利根川”を指す「刀水」が、同じく二月二十三日条の「また霰ふる前橋を立ちて刀根の浮橋をわたり高崎板鼻を過ぎぬ」の一句めで「刀川」になっていることを指摘した。二月二十三日条の漢詩の平仄を調ペてみると、”利根川”を「刀水」と記すと平灰が合わなくなるために、鴎外は「刀川」を使用したと考えられた。以下、同様に”パリ”を示す「巴里」と「巴黎」、中国漢詩の詩句「轗軻長苦辛(「嘗」と「長」は、ともに平声陽韻)」を引いた「嘗苦辛」と「嘗辛苦」、一人称代名詞「我」と「吾」、の使い分けを調ペてみると、いずれも平仄に合っていることがわかり、平仄に合わせて語句を選択していることが判明した。
質疑では、平仄を守ることは日本人が漢詩を作る際の常識であることが指摘され、むしろ、鴎外に平仄を守っていない漢音があるのか、守っていない漢詩があるとすれば、どのようなものか、また、発表者が、なぜ鴎外の漢詩を取り上げたのか、などが質問された。 (余田)
教科書に残る明治期学術漢語
発表者/真田 治子氏(東京学芸大学非常勤講師)
本発表は、明治初期に導入された学術関係の用語がどのように定着、一般化していったかを計量的手法によって明らかにしようとする研究の一環として為されたものである。
明治初期の学術漢語が現代の高校及び中学校の教科書にどれぐらい、どの分野に残っているかなどが調査された。具体的には、『哲学字彙』(一八八一年)の訳語から漢語を抽出し(それを「学術漢語」と定める)、国立国語研究所の『高校教科書の語彙調査』及び『中学校教科書の語彙調査』の語彙表と対照させて分析が進められた。特にはっきりした結果が示されたのは以下のような点である。
(1)「学術漢語」がどの分野に多いか、教科別の分布を見ると、高校教科書に見られる漢語の中で比率が特に高いのは「倫社」であり特に「哲学」に関わりのある語が日立つ。
(2)意味分野別の分布を見るために「学術漢語」を「抽象的関係」「人間活動の主体」「精神及び行為」「生産物及び用具」「自然物及び自然現象」の五つに分類してみると、高校教科書の「学術漢語」は「抽象的関係」「精神及び行為」の二項目に集中する。
質疑応答では、示された結果から見ての『哲学字彙』という資料の性格についての質問が出され、「哲学関係」の語が目立つという結果は当然ではないか、他にもっと適当な専門術語集があるのではという質問も示された。発表者の応答のように『哲学字彙』は「哲学」に限らない、幅広い学術用語を収めたものだとは思うが、なお検討の余地が残る結果となったように思われる。 (増井)
主格表示「ガ」の勢力拡大の様相と「ハ」「ガ」の使い分け −江戸時代初期における−
発表者/山田 昌裕氏(立正大学非常動講師)
本発表は、それまでの氏の研究の一環をなすものであり、前代に引き続いて、江戸時代初期における格助詞「ガ」の使用状況を中心に分析したものであった。資料として「天草版平家物語」と「大蔵虎明本狂言」とを比較することにより、時代的な差を「ガの勢力拡大」という観点から捉えている。平叙文における勢力の拡大は、助詞表示をしない例がなくなり、そこをガか埋めるような形で増える点に現れる。拡大の方向は、影山太郎氏のいう形容詞文等の「内項」の主語から他動詞文等の「外項」の主語へと向かっており、その傾向が虎明本の段階でさらに顕著になることを示した。また、疑問文や強調文においては、係助詞の衰退にともなって、係助詞の位置にガが用いられており、それが名詞文においても増えていることが報告された。
こうしたガの勢力拡大にともなって、「してそれが誠でおぢやるか」など現代語ではハに相当する用法や、「なんちがおいが有か」などこに相当する用法などについて、用例が一覧として挙げられた。それらによって、江戸初期には、現代に見られない「ハ」と「ガ」の使い分けがあることが看て取れる。
質疑では、取り上げた二つの資料をどのような時代・位相の中に位置づけるのかといった資料性の問題や、内項の方から助詞表示が始まったのはなぜか、江戸初期にどうして現代と異なる秩序があり、それがなぜ崩壊したのかといった間者が提出され、それらについて応答がなされた。 (金子)
唱歌の国語学的考察一斑
講演者/鈴木 博氏(大谷大学非常動講師)
鈴木氏の今回の御講演は明治・大正期の唱歌に用いられている言葉の意味用法について、国語史的観点から検証されたものである。
(1)「窮理」という言葉
唱歌「星の界(よ)」(明治四三年)は英国人コンヴアースが作曲した賛美歌第三一二番に、当時冨山房で坪内逍遙の国語読本の編集に携わっていた杉谷代水(一八七四〜一九一四)が、英語の原詞とは関係なく作詞したものである。その二番の歌詞「雲なきみ空に横とう光、・・・いざ棹させよや、窮理の船に」とある「窮理」は、「天文・物理」のことで、この場合「星の世界を窮努める」意に用いたものである。
(2)人の存在を表す動詞「在り」(ラ変)と「居る」(ワ上一)
唱歌「広瀬中佐」(大正元年)に「杉野は何処、杉野は居ずや」にある、人の存在を表す「居る」は、中古以前には「座っている」「とどまっている」意を出ないとする辞書もあるが、『万葉集』にも存在を示す例歌はある(七五六番)。以下『今昔物語集』『太平記』『伊曽保物語』(大久保常吉編、明治一九年刊)、『明治文学全集』などから例を示し、平安時代以外の文献でも人の存在の「居る」(打消形「居ず」)は、「あり」(打消形「なし」)とともに存することを示す。
(3)「ささ舟」の意味
「ダニユーブ川の漣」にある「ささ舟」の「ささ」は小さいものを表す接頭辞「ささ」であり、『日葡辞書』に説かれているものと同意であること。
(4)唱歌「さるかに」の言葉「卵の地雷火」
本唱歌二番「たまごのじらいか、はちのやり」は「地雷か(疑問の助詞)」としがちだが、原文では「たまごのちらいくわ」としており、「地雷火」がよい。「地雷」のみでは明末の『天エ開物』(一六三七年成)や本邦の『和漢三才図会』に、「地雷火」も『蘭例節用集』(一八一五年刊)あたりから存し明治期にも見られる。それは古い「音火」との関連もあるか。その他、小学唱歌「故郷(ふるさと)」の「恙なしや友がき」の「友垣」は「友餓鬼」と勘違いした例もあること等、とかく誤解を生じやすい唱歌の語集を文献例から確証され、御自身でも歌って下さるなど、とても楽しい御講演となった。 (樋渡)
第187回研究発表会(2001年9月22日 於:国際基督教大学)要旨
樋口一葉の小説における助動詞の用法 −過去と完了の助動詞について−
発表者/田貝 和子氏(東洋大学大学院)
樋口一葉の二十二作品の小説でも、代表作といわれる『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの作品では、それまでの初期の作品群に比べ、文章表現に変化がみられるといわれている。このことについて、助動詞の「き」「けり」「つ」「ぬ」「たり」を「地の文」「引用文」「会話文」に分けてその分布を考察してみたものである。
「き」については、前期では地の文・引用文共に用いられるが後期になると地の文に多くなってくる。
「けり」の地の文での使用は「奇跡の期間」に集中している。それ以後、後期作品の引用文や会話文では「た」を多く用いるようになってきている。
「つ」「ぬ」は地の文にみられ、後者は文末に好んで用いているようだ。
「た」「たり」については、「たり」は「奇跡の期間」以前に、それ以降は「た」を非常に多く用いるようになり、それは会話部分をよりリアルに描こうとした証拠である。
以上から、後期作品にかけては、特に引用文や会話文中における文語型助動詞の使用が少なくなり、口語的な「た」の使用が多くなっていくことが認められる、というものである。
発表後は、本研究の目的とするところや明治文語文の特色との関連、右の、文の三分類の基準のありかたや提示された用例、例えば「定めし」などの認定について意見が述へられた。 (樋渡)
第186回研究発表会(2001年7月28日 於:学習院大学)要旨
明治期文典に見る子ども向けの言葉 −中根淑『日本文典』『日本小文典』−
発表者/加藤 妙子氏(名古屋大学大学院)
中根淑『日本小文典』(明治九年刊、『小文典』)は、その序の記述より、小学校生徒にわかりやすく説くために、『日本文典』(『文典』)の内容を平易にしたものである。両文典の語彙・語法を対照し、その差異を明らかにしつつ、近代学校制度黎明期において、子どもの言葉がどこまで配慮・認識されていたのかを考察する。
『小文典』は『文典』の基本的な項目のみ残されている。また『文典』の用例は古文から採られていたが、『小文典』では当時学校で使われていた教科書のものに変更されている。現実の子どもにとってのわかりやすさへの転換が窺われる。
語法の面では、両文典とも文語体であるが漢文訓読体は避けられより直接的で簡易な文体となっている。例えば、二重否定や「而シテ」「以テ」など漢文特有の表現を退けたり、「ザル」を「ヌ」にするなどである。読本が語調を重視して漢文訓読調を採る中、分かりやすさために語法の簡略化も必要と自覚したためと考えられる。
語彙の面では、漢語サ変動詞が和語に変えられるなど、漢語から和語への変換が顕著である。また、「字ヲ以テ之ヲ書ス」→「字ニテ書ク」のように単純で短い語句に変わる例や、丁寧に説明するために「半音ヲ為ス」→「声ノ半分ヲ用フル」のように語を補ったために逆に長くなる例もある。
このように、平易化を具体的に考察することにより、子どもを対象とした文体の成立を叙述することが可能になる。
質疑応答では、「小学生徒」の指す実体をはじめ、『小文典』がどのような層を対象としていたのか、実証的な説明が必要であるなどの指摘がなされた。 (鶴橋)
第185回研究発表会(2001年6月23日 於:国立国語研究所)要旨
『支那文典』から「語法指南」へ −「六個地歩」における註釈を中心に−
発表者/田鍋 桂子氏(早稲田大学大学院)
明治期の文法研究において大槻文彦の果たした役割は大きいが、文法会時代の学説の変遷については未だ不明の点も存する。本発表は、文法会開始の一年前(一八七七年)に大観が出版した『支那文典』(CrawfordTarletonPerry・張儒珍著『文学書官話』に大槻が訓点を施し一部に註解を附したもの)を手掛かりに、「語法指南」に至る大槻の文法研究の変遷を考えようとしたものである。
具体的には、『支那文典』における格(地歩)の記述に大槻がどのような註釈を附したかを検討しながら、出版当時の大槻の洋文典理解を押さえるとともに、同時代の国文典との関係と「語法指南」への展開を考えた。
その結果、@『支那文典』における「名詞の格・主格」に日本語の「体言の辞・掛の辞」をあてるなど、この期の大槻には藤林普山の蘭語研究や鶴峯戊申の著述などとの共通点が見られ、洋文典の影響を強く受け継いでいる、A『支那文典』における「体言の辞」は、「語法指南」において「第一類の天爾遠波(格助詞)」としてまとめられ、相互の影響関係が認められる、B一方「主格」とされた「掛の辞(係助詞)」は「第二類の天爾遠波」に移され、文法会メンバー
からの影響が考えられる、などの点が指摘された。
質疑応答では、『文学書官許』の書誌やその内容に関する質問がなされるとともに、大槻と西周とのつながりなど、当時の人的関係が話題となった。この点について引き続き調査するとともに、当時の人間の洋文典理解・伝統的国文
典理解をさらに精査していく必要を感じた。 (服部)
第184回研究発表会(2001年5月18日 於:神戸山手大学)要旨
明治期における終助詞「よ・な」 ―性差を中心として―
発表者/房 極哲氏(筑波大学大学院)
房氏の発表は、『社会百面相』(明35)など明治20年代から40年代の小説(九作品)の会話文を対象として、性差による終助詞ヨ・ナの使われ方の変遷を調査・分析したものである。
まず、当該期間のヨ・ナの出現状況を男女別に使用比率によって概観し、ヨの使用比率は女性が高く、時代が下るにつれて減少するが、男性では特に変化がないこと、ナの使用比率は女性のほうが低いことを指摘した。
次に、より詳しく、ヨ・ナの承接に着目し、ヨ・ナが現れる表現形式を命令・禁止表現とそれ以外とに分け、男女間の使われ方の相違と、文中における機能を考察した。
その結果、ヨの使用は、女性の場合は待遇価値の高い命令表現に多く、男性の場合は非命令表現に多いことを指摘し、その場合、命令表現に使われるヨは、命令を和らげる働きをしていると見た。ナについても同様の傾向があり、女性のナは、使用範囲が狭いことがわかった。さらに、用法の変遷について、女性の場合は「オ+動詞連用形+ヨ/ナ」「敬体の命令表現+ヨ/ナ」のような命令表現形式ではヨ・ナの使用の減少傾向が見られるものの、男性の場合には、大きな変化が見られないことを示した。
質疑応答では、禁止のナの扱い方や用例の解釈について、また、話し手の属する階層や地域による使い分けについてはどう考えるのかといった、「性差」以外の観点からも整理する必要が示唆された。 (小野葉)
近代における漢字字体についての一考察 ―国定読本・文部省刊行の整理案を資料として―
発表者/楊 昌沫氏(大阪大学大学院)
明治時代に入り、活版印刷の発達とともに漢和辞典が普及し、従来の行書・楷書によった識字に大きな影響を与えた。具体的には、読むための文字の規範、すなわち『康煕字典』を基準とした「明朝体(活字体)」と、書くための文字としての「楷書体(書写体)」との間に混乱が起きた。
本発表は、書写体の規範を示すために文部省が刊行した、「漢字整理案(大正八年)」「字体整理案(大正十五年)」「漢字字体整理案(昭和十三年)」における字形の実態を調査するとともに、第三期・四期国定教科書における漢字体が、これら各種整理案とどのような関係にあるのかを考察したものである。
その結果、(1)これら三種の整理案では、字形の相違はあるものの、『康煕字典』をもとにしながら書写の習慣を重視して字形に改変を加えていること、(2)第三期国定教科書は整理案の強い影響を受けており、康煕字典体と書写体が無秩序に存在しているわけではないこと、(3)第四期国定教科書は『康煕字典』を規範とする方針転換により第三期読本と異なる字形を採用しているが、その一方で第三期同様、書写体に考慮した部分も存すること、などが指摘された。
整理案と国定読本の関係を具体的に示した興味深い発表であったが、質疑応答では、国定読本における漢字字体の位置付け(版下を書いた井上千圃の依ったものは何か、一般的な活字字体とどのような差があるか、など)や、漢字の体差とデザイン差の定義(整理案に見られる「許容体」は字体差・デザイン差どちらのレベルのものか、など)をめぐって、活発に意見が交わされた。 (服部)
総合雑誌『太陽』の資料性と電子化テキスト
発表者/田中 牧郎氏(国立国語研究所)小木曽智信氏(東京大学大学院・国立国語研究所)
国立国語研究所が進めている「太陽コーパス」の資料性および検索性向上のための仕様を中心に据えた発表であった。資料性については、ジャンル・著者・文体の観点から分析例が示された。『太陽』は文芸時評など各種の時評や論説、小説から彙報にいたるまで様々な文章ジャンルが共存した資料である。よって、ジャンル毎に語の定着の度合いを見ることが可能で、「国民、国家、国語」など「国−」系統の漢語はジャンルを超えて広く分布するが、「公徳、公園」など「公−」系統の漢語は、経済分野で多いなどの違いが見て取れる。次に、登場回数の多い執筆者を中心に、個人別の語彙使用の実態が分析できることも報告された(加藤弘之の「国民」と「人民」の使用意識等)。さらに、口語・文語という文体差とジャンルや著者との関連を示す分析例が示された。続いて、前バージョンの仕様から変更した点について報告があった。検索性を向上させるため、文書構造を段落等の単位に変更したり、ジャンル・著者・文体などの情報を付加したことが報告された。
質疑では、仕様変更を中心に、検索結果に入る「ゴミ」の問題や、左ルビの処理等の質問があり、今後の課題として共通の認識が確認された。なお、発表終了後別室において、ノートパソコンを用いた様々な具体的使用法が紹介された。「太陽コーパスVer.0.5(1901本文テキスト)」は試験公開されている(mtanaka@kokken.go.jpまで)。 (金子)
日遠『法華経随音句』における声調について
発表者/中澤 信幸氏(日本学術振興会特別研究員)
字音の声調は、漢音系の韻書のものと、呉音系の法華経読誦音のものとが相違する。これは、法華経音義書で平安時代中期から指摘されていた。日遠は、『法華経随音句』(一六二〇年成)編纂にあたり、心空『法華経音義』(十四世紀末)を参照しながらも、中国元代の韻書『古今韻会挙要』などを用い、天台宗系の伝統的な法華経読誦音(伝統音)を韻書によって正そうとした。
日遠は、伝統音の音形や清濁を韻書に合わせ積極的に改変している。声調も韻書に合わせて改めるのが基本姿勢であったが、一部には伝統音の声調に従った例もある。清濁や音形を改変した場合でも、声調までは改めなかった例がある。ここに韻書と伝統音との間における日遠の「迷い」が見られる。
声調が韻書、伝統音何れにも依っていない例がある。これらは何れも清濁に問題があるものとして挙げられており、韻書、伝統音の声調と異なる「空き間」に、清濁のみを表すために付けられたものである。日遠は、漢字に声点を付す一方、声調を捨象した濁点をも使用していたと考えられ、濁音表記の歴史を考える上でも注目される。
質疑応答では、「空き間」に関する質問が出された。日遠は去声表示を措定しており、濁音表示という解釈は、韻書・伝統音とも声調が異なる場合の説明であること、「空き間」とは、もともと和語で去声に声点が付けられることがなかったことであるが、本発表では韻書・伝統音の間隙の意味であることが質問によって明らかになった。その他「迷い」などの意味するところについて質問が出され、その一部は今後の課題としたい旨が述べられた。 (鶴橋)
キリシタン版「ぎやどぺかどる」の活字字体についての計量的報告
発表者/JamesWilliamBreen氏(モナシュ大学/東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所客員教授)豊島 正之氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)
本発表は、きわめてひろい見渡しの中での「計量的報告」であり、今後の種々の研究に多くの示唆を与える興味深いものであった。「「報告」の中心となったのは、『ぎやどぺかどる』にみられる〈仮名合字〉(=連続活字)に関してのものであり、それは〈欧文リガチャの原理を応用して成った苦心の組版成果であり敢て行草体組版としたのは、合字を可能にするためかとすら疑われる程である〉と述べ、『ぎやどぺかどる』上巻に〈自立語をまたぐ合字が無い〉、つまり〈合字の途中で自立語(文節)が開始する事は無い〉ことから、それによって〈可読性が向上する〉と結論づける。発表中でも〈この様な仮名合字の機能的利用の傾向が古活字版にも踏襲されているかは〉〈興味ある処である〉と述べられているが、今後は古活字版を〈可読性〉つまり読みやすさといった観点からひろく、かつ徹底的に調査し、次に古活字版とキリシタン版との連続性、前後関係とを考えていく必要があろう。この〈仮名合字〉と同様の〈非語(形態素)境界の表示機能を持つ〉ものとして〈欧文リガチャ(ligature)〉を指摘し、また〈合字の機能〉を、〈切断を誤認しないためではなく、連結を確認するためにある〉のであって、〈optionが無い事をまず知らせる〉ことによって〈possibilityとして読解に寄与している〉という見方は注目すべきものと考える。同時に示されたキリシタン版活字字体の計量用のソフトウェアはきわめて優れたもので、これによって、字間、行間の空きの計量が可能になり、意識的な込め物(クワタ、インテル)の挿入状況が推定できることにより、さらにキリシタン版の版面についての具体的な考察が可能になると思われる。 (今野)
マイナイ(賄)―『エソポのハブラス』のことば―
講演者/大塚光信氏(京都教育大学名誉教授)
『日本国語大辞典』、『時代別国語大辞典 室町時代編』の意味記述を総合すると、これまでマイナイ・マイナウの意味は、(一)人に物を贈る(a)感謝のしるしとして(b)下心あって、(二)財物・財宝(マイナイのみ)のように把握されてきた。これに対して大塚氏は、キリシタン資料・抄物・古辞書等の検討から、『日本国語大辞典』などの用例の解釈には再考の余地があること、右以外にもいくつかの意味の広がりがあることを明らかにされた。すなわち(a)謝礼のしるしとして物を贈る、(b)人に物を贈る、(c)財物・財宝、(d)ワイロ、(e)ツノル・アガウ・アキナウ、(f)マカナウのごとである。また、このような意味の広がりをもつに至った要因にも言及され、(b)(c)は「賄・賂」、(d)は「賄賂」、(e)は「購・貨」の漢字の和訓を契機として、(f)は宛漢字を媒介として成立したとされた。また、氏の厳密な用例の検討は、国語資料の資料性をも浮き彫りにするものであった。一例として、『言葉の和らげ』が「MainaiVairo」とするマイナイ=ワイロの意味は、『エソポのハブラス』の原文のマイナイの文脈的意味とはずれがあるところから、『言葉の和らげ』の性格を再考する必要も指摘された。
限られた講演時間にもかかわらず、大塚氏が示された多くの知見は、中世語研究の碩学であるから こそなし得ることではあろうが、その背景に、個々の用例の厳密な読み取りを幅広い資料で重ねるという基本があることを、改めて実感させていただいたご講演であった。 (湯浅)
第183回研究発表会(2001年4月28日 於:國學院大學)要旨
延慶本『平家物語』からみた漢字表記
発表者/日比野 友子氏(清泉女子大学大学院)
発表者は、中世の漢字表記の実態を「漢字の書き分け」という観点から通時的・共時的にとらえようと、延慶本『平家物語』にある和語動詞の漢字表紀を意味との一致の度合いに応じて、(A)意味と漢字が完全に対応している、(B)意味と漢字が対応していない、(C)部分的な対応を見せつつ、非対応の場合もあると、三つのパターンに分けている。発表ではおもに量的に多いCについて述べ、たとえば「あたる」という和語動詞のもつ四つの意味に対して、「矢があたる」意味と対応している表紀は「中」という漢字だけで、その他の「当・宛・充」はこの意味との対応が一定せず、「当」のように四つすべての意味にわたって使われた場合さえ出てくる。分頻基準の説明に絡んで、「なく」を人間の「泣く」と動物の「鳴く」とに完全に分けるA類と、「あふ」の「合・逢・遇」が文脈内容に合致していないB類へも言及している。
各時代の通用漢字がどのように定められてきたかがいろいろと論じられてきた。この発表も漢字表記のいわば定則を追究する面から見て、必要不可欠な試みであるが、ただ、書き分けの基準とされる意味自体は不確かな要素が多い。そこに分類の前提となる「書記行為は無意識な行為だ」という発表者の考え方が加味してくると、いわゆる漢字表記の許容範囲と、究極なところ、漢字漢文の素養の高さという問題にぶつかる。筆者もかつて、副詞「まさに」の漢字表紀と意味との使い分け度をもって、鴎外と漱石の文章を調ペたことがある。結果は鴎外のほうの用字は一枚上で、より漢文に近いとみられるが、かといって、これをその時代の規範的な表記と見なすにはやや抵抗がある。いわゆる表記の許容範囲は各時代によって違うし、よりその時代の実態に迫っていくのが先決だと思う。
質疑応答は、おもに方法論に集中している。まず分類の基準にからんで、書記行為は「無意識」と簡単に片付けるのではなく、その真偽を慎重に見極める必要がある。また、A類を完全なる別語として認識する可能性もあるから、その表記の仕方はゆれと異なる問題である。同じように、B類の判断も漢字漢文の使用を精査すれば、結局C類と同じと見なしても差し支えなくなる。調査方法について、仮名表記の和語動詞を省いたことは全体像を見るには公平さを欠くという意見が多く出され、また字の使い分けを現行辞書を基準に判断するのも問題で、むしろ古辞書や当時の節用集を利用すべきだし、『平家物語』の他本との比較、さらに真字本との比較を視野に入れるペきだといった意見も出された。(陳)
第182回研究発表会(2001年2月24日 於:実践女子大学)要旨
森鴎外の創作小説51作品における外来語の表記
発表者/杉本 雅子氏(国際基督教大学大学院)
発表者は、明治時代の作家の外来語使用が、当時の外来語の体系の変遷の中で果たした役割を明らかにしようとすることを意図し、本発表はその手始めとして、森鴎外が明治二四年から大正四年までに執筆した全創作小説五一作品における外来語の使用の実態を、特に表記という視点から調査・考察するものである。
調査の対象とした資料は、全創作小説の初出文献である。そこから固有名詞やイニシャルなどを除く、延べ1660語を考察の対象とし、外来語の種類(原語の出自)と使用実態、変遷の過程、外来語と原語との関係、表記型が消滅したり途中から新しく使用され始めたものがある理由などにについて考察した。
外来語の表記のされ方は、@片仮名(782語)A平仮名(27語)B漢字(305語)C漢字+両ルビ(6語)D漢字+左片仮名ルビ(32語)E漢字+右片仮名ルビ(30語)F漢字+平仮名ルビ(23語)G原語の綴り+片仮名ルビ(134語)H原語の綴り(343語)、の9通り見られるが、CDはすぐに使用されなくなり、原語をともなう表記型は、明治四十年代から見られる。これらの表記型は、@Aは片仮名表記型へ、BCDEFは漢字表記型へ、GHは原綴り表記型へと移り変わっていく。
前述の表記型が使用されなくなる理由としては、作品の本文自体のルビが減少するのにともなってルビ表記型が減少することが考えられる。また、新たな表記型GHが加わることについては、それまで外来語で表現していなかった分野(思想・抽象・専門的)で、外来語を使用し始めたということが考えられる。
また、原語と表記型の関係は、BEFが古くから使われていた語(葡・蘭・西)が主であり、他は新しく使われ始めた語(英・仏・独など)が主である、という特徴があることも示した。
質疑応答では、創作小説の定義、、外来語の種類(原語の出自)、ルビを付したのは鴎外自身か否か、初出と全集とでは差はあるのか、異なり語の観点からの分析がほしいなどの意見がだされた。(平林)
第181回研究発表会(2001年2月3日 於:鶴見大学)要旨
『和英語林集成』「和英の部」の意味に基づいた漢語の見出し語
発表者/木村 一氏(東洋大学)
『和英語林集成』の見出し語には、ローマ字表記、カタカナ表記と漢字表記とが一致しないものがある。発表者は、これらを(1)字形類似の漢語の見出し語、(2)同音異義の漢字の見出し語、(3)その他の見出し語の三つに分類し、先に考察を行った。しかし、このほかに、ローマ字、カタカナ表記の示す読み(音読み)と漢字表記とが直接結びつかない見出し語がある。本発表は、これらを「意味に基づいた漢話の見出し語」と呼び、その漢字表記について、ヘボンが利用した可能性のある辞書類を中心に調査した結果を報告するとともに、なぜそのような表記がなされたのかについて考察しようとしたものである。
まず、初版、二版、三版から「意味に基づいた漢話の見出し語」六三語を抽出し、その漢字表記について『雑字類編』『雅俗幼学新書』『書言字考節用集』などによる調査を行った。その結果、茶道具に関する請の表記が『雅俗幼字新書』の見出し語の表記と多く一致すること、また、全体的に見ても、B・C・D部に『雅俗幼学新書』の見出し語の表記と一致するものが多いことを指摘した。
また、「意味に基づいた漢語の見出し語」が二版から三版のあいだで、語形と表記とが一致するように改められる例が33例あることなどを述べた。
質疑では、「意味に基づいた漢語の見出し語」という用語の適否や、本発表が『和英語林集成』の依拠資料を明らかにしようとするのか、近代語における表記の問題を扱おうとするのかという問題設定のしかたについてなど、さまざまな質問・意見が出された。(小椋)
